盛岡市の市議会議員をしています。
●青森県藤崎町生れ 61才
●盛岡市議会議員7期
●日本共産党盛岡市議会議員団幹事長
●教育福祉常任委員会委員
●地球温暖化対策特別委員会委員
●廃棄物対策審議会議員
●動物公社理事
●東松園2・3丁目町内会副会長
●盛岡医療生協・上米内、松園地区支部委員
●北部地区憲法9条守る会世話人
●日本共産党盛岡地区委員会常任委員
礼子物語
世話好きな少女時代
きょうだい5人で3番目の長女・ジョッパリの子でした。
自称「鬼がわら」のような顔だった子ども時代。
仲間の遊びを仕切る一方、弱い子をいじめるのを見ると男子であろうがとことんやっつけなければ気が済まない。やりたいことは一晩中泣いても曲げないジョッパリの子でした。
もの心ついたころ、家に同年齢の「借り子」(年季奉公)が働いていましたが、高校に通う我が身と比べてすまないという気持ちを味わいました。
中学校、高校時代は、家庭の事情で登校できない友達の勉強を見てやったり、困っている人を見過ごしにできない世話好きな少女でした。
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資格とり自立した女性になりたいと ~学生時代
農家の苦労がむくわれるように役立ちたいと決意
農家の長女に生まれ母の苦労を見て育った私は、女性でも自立しなければとの思いで地元の短大に入学しました。
入学と同時に食生活研究サークルに入部し、農村に泊り込み農家の人たちと一緒に稲刈りなどの農作業や家事作業の手伝いをしながら農家のくらしや農業の実態調査やゼミ活動に熱中。
農家の主婦の苦労や生活の向上に役に立ちたいと「生活改良普及員」を生涯の仕事にと決意しました。
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はれて生活普及員として
農漁家のお母さんたちと青春を謳歌
67年青森県職員として採用され、最初の赴任地は「大間地区農業改良普及所」勤務でした。
青森県で最も遠隔地の最も小規模な普及所です。
なにしろ、採用試験の面接で「僻地の方が普及員としてやりがいのある仕事ができる」などと大口をたたいたものだから希望どおりの赴任地となったのです。
「大間町」といえば今でこそNHKの朝ドラ「わたしの青空」で舞台になるほどの観光地になっていますが、私自身、大間町が何処にあるのか分からなかった位ですから晴天のへきれきでした。
ヤマセが吹き一面の平原(原野)の風景に圧倒されたものです。
ただし、そこは底なしのジョッパリ精神で切り抜け、漁家のお母さんたちとカマドの改良や味噌づくり、農繁期の季節保育所づくりなどに青春を謳歌しました。
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保育所運動ひとすじに
父母と手をつなぎ安心して預けられる
保育所づくりの中で社会の矛盾に開眼
結婚と同時に盛岡での生活がスタート。
再就職した岩手大学生活協働組合は、結婚と出産ラッシュです。
仕事を続けたい、働かなければならないという職場の仲間と職場保育所づくりからはじまり、よりよい保育と保育所づくりに取り組んで10年。 公立「うえだ保育園」がつくられ松園地域に社会福祉法人「わかば保育園」を開園させることができました。
数々の困難にあったとき道を切り拓いた力は、子どもを預ける先がなく途方にくれるお母さんたちと一緒になって考え行動したことです。
保育運動の中で数十回以上も市に交渉した中で、政治が生活と切り離せないものであることを知りました。女性、子ども、お年寄りなど社会的に弱い立場の人の要求や悩みを、市政に反映させる活動の大切さを学びました。
誰もが政治を身近に、自ら参加してよいものにしていくために、そのパイプ役として働きたいと市議への立候補を決意しました。
和服、小物をつくること、里山の登山、サッカー観戦、海外旅行、 読書