11月4・5日と福島原発事故被災地ツアーに参加しました。(医療生協主催)
岩手沿岸部の被災地には何度か支援活動に入っていましたが、福島は以前から現地を見てみたいとの思いもありさっそく参加させてもらいました。
約4時間余りバスに揺られて福島県四倉インターで浜通り医療生協組織部の工藤史雄さんが同乗し、案内していただきました。
広野町、避難指示解除準備区域の楢葉町、居住制限区域の富岡町と通り過ぎるたびに工藤さんが持参した放射能検知器がピッピッピッと鳴りだし、放射線量が強くなっていきます。
盛岡周辺の約10~20倍強の最高で0・5シーベルト強です。
被災地に近づくほどに、震災当時のままの倒壊した家屋、そちこちに除染で集めた土壌やガレキが詰った黒い袋(1トン詰め)が野積みされ、周囲の錦秋の景色とは対照的な光景です。
工藤さんは、世界初の原発震災で日本史上最大の公害であること。増え続ける原発事故関連死、止まらない自死、仮設での孤独死、アルコール依存症、一生涯にわたって健康被害を発するリスクなどなど被害は止まっておらず、「故郷の喪失」という新たな被害であり消滅していく地域の課題など報告しました。
ご自身も小さな子どさんを抱え被災されており、涙ながらの説明で心が痛みました。
心無い人々の「原発で地域が潤ったのではないのか」とのバッシングについても、この地域は福島のチベットといわれた地域であり、貧しさ故の選択であったこと。そして、原発マネーによる交付金は大型公共事業のみが対象で、それらの事業は大手企業が請け負い儲かる仕掛けでになっていること等々大企業優先の政治のあり様を話されました。
そして、政府は原発事故の事実を忘れ去ったかのように原発再稼働を決めているのです。
全町が帰還困難区域となっている浪江町の町長さんが「私たちは日本国憲法に守られた国民なのでしょうか」といった言葉の重みをあらためてかみしめました。
工藤さんは、「最後に福島を忘れないことこそ最大の支援です」と言われましたが、二度と再び繰り返させないためにも「原発止めよ」の声を大きく広げ行動することが急になっています。
写真: 上から
震災時そのままに放置された街並み
野積みされた汚染ガレキ・土壌
家の中に流され放置されている軽トラック
楢葉駅の観光案内版と脇には放射能探知機
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