3月31日は、支援物資を届けるため宮古市に行ってきました。 党盛岡地区委員会は宮古市の支援を担当しており、これまでも地元の要望を受けて支援物資を届けてきましたが、今回は議員団として直接現地の声を伺い対応したいと庄子春治議員団長、高橋和夫議員、鈴木努議員と私と4人で出かけきました。
今回は、宮古地区委員会のたっての希望でもある物資輸送のための足となる軽ワゴン車と軽トラックを届けることも大事な任務でした。
特に軽ワゴン車は、我が家の隣の奥さんが、愛用者を廃車にするというので礼子事務所で貰い受けることにしていたものです。
宮古地区委員会が物資輸送の足の確保で苦慮しているというお話が出され、庄子議員が中古車を購入して贈ろうと提案したのを受けて、庄子さんの決意に気持ちが揺れ、多少のちゅうちょもありましたが、軽ワゴン車が活用できるのであればと決断しました。
また、高橋和夫議員が軽トラックを貸し出すということで2台の車をゲットし、その車に集められた洗濯機など物資を積み込み、朝7時に宮古市に向けて出発しました。
宮古地区委員会では、早速被災の実態を伺い、被災地を案内していただきました。
宮古市内は被害がなかったものの国道45号線沿いの沿岸線は大きなダメージを受けていました。宮古市役所付近には陸橋の橋げたや道路に漁船が打ち上げられていたり、沿線の住宅ががれきと化していました。
田老地区は壊滅状態で、テレビでも何回となく報道していた10メートルの防潮堤を軽々超えた津波の破壊力に息をのみました。
ご自宅も津波にのまれた埼尾宮古市議の案内で、被害の状況を坊潮堤を歩きながら伺いましたが、X字に張りめぐらされた総延長2433メートルの防潮堤は田老魚市場近くに作られた部分は見るも無残に破壊されていました。
海岸よりの全ての建造物は後方の防潮堤を超えて根こそぎ流されていました。
埼尾議員は、山田線の線路(住宅地のはるか上にある)に住宅の屋根が乗り上げていたと話されましたが、想像を絶する津波の高さと破壊力と被害の大きさです。
今は、食糧や衣類は不自由なく届けられているとのことですが、個人宅に身を寄せている方々への支援が行き渡らない実情など訴えられました。
今後、仮設住宅の建設や住宅の確保など急がれますが、これからは生活していくための電化製品や家財道具類が必要になってくるとのお話です。
事務所で炊き出しをしている女性の方からは、避難場所が大規模な体育館などが利用されているが、被災を免れた町内の地区公民館や集会所などであれば、地元の人たちの協力、支援が得られやすいなどなどたくさんの意見もだされました。
これから、復興に向けて防災の街づくりに英知を集めてとりくまなければならず、盛岡市の街づくりへの支援が必要になっているといわれましたが、厳しい現実を乗り越える被災地のみなさんの力強さを感じつつ帰路につきました。
(写真上から 軽トラックの前で贈呈、防潮堤で偶然お会いした前田老町長さん、、住宅地の奥まで流された乗用車、後方に見える山田線の線路、防潮堤の後ろに流された住宅、10メートルの高さの防潮堤)
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